ミャンマー人と日本人、タイ暮らし🇲🇲🇯🇵

ミャンマー人の彼と日本人の私、2022年5月からタイ生活始まります🇹🇭

こんちゃんが夜警団を組織した話

こんにちは!

ミャンマー人の彼氏と国際遠距離恋愛中のなーこです🇲🇲🇯🇵

 

完璧な文章を書ける日がくるのを指を咥えて待つのではなくて、もっと頻繁に文章を書いて練習するしかないよな〜と当たり前のことに改めて気づいたなーこです。

 

クーデターに翻弄されて大変だったときのことを書こうとずっと思っていたのですが、身バレも怖くてなかなか書けなくて気づけば半年以上が経っていました。

でもこれ以上先延ばしにしても記憶から薄れていくばかりだし、これは絶対に文字に起こして残しておくべきことだと思うので、これから少しずつ書いていきます。

 

というわけで、今日はこんちゃんが夜警をしていたときのことについて。

f:id:naakowl:20211116202545j:plain

Photo by Khachik Simonian on Unsplash

ミャンマーでクーデターが起きたのは2月1日のことだけど、こんちゃんはじめジェネレーションYより上の世代は軍政時代を生きていたからこの先何が起こるか大方わかっていたんだろうなと、今振り返ってみて改めて思います。

ちなみに90年代後半生まれの私はジェネレーションZ、最前線でデモ活動をしていたミャンマーの若者と同世代になります。

 

この先起こることの何をどうわかっていたかというと、例えばクーデター当日のこんちゃんとのLINEを見ると、

「これからたくさんの血が流れると思う」

「人がたくさん死ぬと思う」

こんちゃんは10代前半のころに通称「サフラン革命」に巻き込まれています。

目の前で人が死ぬのも見たと言っていました。

だからこそこの先起こることがわかっていたのだと思います。

そしてこんちゃんより少し上の世代になると1988年の「8888民主化運動」を経験しているのでなおのこと。

ちなみに歳の離れているこんちゃんのお姉ちゃんは8888民主化運動も経験しています。

((いつか機会があればこんちゃんの家族がこのころどうしていたのか聞いてみたいな🤔💭))

 

さて、クーデター直後はみんな外に出て訴えることはせず、外出規制がかかる午後8時から一斉に鍋を打ち鳴らすという方法で抗議していました。

私の解釈・記憶が正しければ、「クーデターから72時間以内に政権が委譲されなければこれは内乱とみなされ、首謀者は内乱罪として死刑になる」みたいな内容がミャンマー憲法にあるらしく、軍もとい首謀者のMALはなんとしてもクーデターを正当化する口実を探していたのでした(2月当時私が書き留めていたnote参考)

その「口実」を与えないために徹底した非暴力を貫く必要があり、だからこそミャンマーの人たちは鍋を打ち鳴らす方法を選びました。

www.bbc.com

ですが、結局72時間経っても何も変わらず、アウンサンスーチー国家最高顧問やウィンミン大統領といった指導者たちは解放されることがなく、抗議のために人々は街へ繰り出すようになりました。

 

私の日記によると、状況が大きく変わったのは2月6日土曜日のこと。

こんちゃんの職場はヤンゴンの原宿とも呼ばれるレーダン地区なのですが、そこに軍が戦車を引き連れてやってきました。

身の危険を感じてこんちゃんが慌てて帰宅したのとほぼ同時にネットが遮断され、通信手段は国際電話だけになりました。

f:id:naakowl:20211121131832j:plain

Photo by Quino Al on Unsplash

結局このときは24時間も経たずにネットは復活したのですが、この日を境にミャンマー軍の情報統制が現実味を帯びてきました。

ネットが使えないと噂の存在感が際立ちます。

例えばこのときはアウンサンスーチーらが解放されたとの話が飛び交っていたのですが、いうまでもなくこれは噂に過ぎず、NLD指導者たちはいまだに囚われたままです。

少しでも希望を持てそうな話があったら信じてしまいますよね。

一縷の希望に縋りたくなるものです。

そんな市民の気持ちを踏み躙るような軍のやり方は本当に汚いです。憎いです。

 

ここまででミャンマーの軍がどれだけ卑劣かは十分伝わったかと思うのですが、これはまだ本の序の口です。

罪のないNLDの指導者たちを捕らえておきながら、今度は2万3千人超の囚人を恩赦で釈放したのです。

www.afpbb.com

政治犯ではなく、普通に犯罪を犯して捕まった犯罪者たちです。

きっとこの先抗議活動に参加する市民を捕らえるために刑務所に空きを作りたかったのかなと思うのですが、頭のおかしい軍のやることはさっぱり意味がわかりません。

 

f:id:naakowl:20211128105138j:plain

Photo by Maxim Hopman on Unsplash

犯罪者たちが野に放たれるとどうなるかというと、一気に治安が悪化します。

犯罪者たちが自主的にやっているのかはたまた軍にやらされているのか真偽の程は不明ですが(と言いつつ十中八九軍の仕業だとみんな信じてる)、これ以降相次いで放火や放火未遂がありました。

家にいるのが大人だけならまだしもこんちゃんの家には下は2歳から上は60代(もしかすると70代かも)までかなり幅広い年齢層の人が住んでいるので、もし火事になったとしてもみんなが逃げおおせるとは限りません。

 

だからこんちゃんは夜警団を組織することにしました。

 

とりあえず近所の家を一軒ずつ回って協力者を募り、詳細はカフェで集まって話すことにしました。

集合場所に行ってみるとびっくり、思った以上にたくさんの人たちが集まっています。

こんちゃんが住んでいた地区は割と富裕層が多く、退役軍人や弁護士、起業家といった人たちが住んでいるのですが、そうしたある種の「経済的な特権階級」の人たちまでもが夜警団に賛成ということは、どれだけの人が軍に怒っていたか、そして恐怖を覚えていたかということの表れだと思います。

そしてその地区は新しい住宅街ということもありご近所付き合いなどほとんどなく、クーデター後の夜警団を通じて初めて家族構成がわかったなんて家も少なく無いほど。

皮肉にもクーデターで人とのつながりが強化された出来事でした。

 

f:id:naakowl:20211128105507j:plain

Photo by Towfiqu barbhuiya on Unsplash

ところで、夜警団って夜でしょ?夜は外出禁止じゃなかったの?と思いますよね。そうです。

外出禁止令が出ている中でも家族を守るために危険を承知で夜通し見張りをしていたんです。

実際こんちゃんたちの地区でも不審者は出たので、必要なことだったと思います。

当時綴っていたnoteによると、大通りで車から人が降りてきて、そのうちの一人がふらふらとこんちゃんたちの通りにやってきたから取り押さえたところ、ライターとガソリンを持っていた、と。

話を聞こうにも意識は朦朧としていて、おそらく薬物を摂取していたんじゃないかと言っていました。

このときはこんちゃんの当番ではなかったですが、見張り中の人から連絡が来てすぐに駆けつけていたので彼も実際にその場を見ています。

危険がすぐそこまで迫っているのだと実感しました。

 

とりあえず夜警団の話はここまでにしましょう。

 

クーデターからもうすぐ10ヶ月が経ちます。

いまだにたくさんの人が捕らわれ殺され苦しめられています。

ミャンマーに早く平和が訪れますように。