"I lived"な人生

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黄金のシュエダゴンパゴダに行ってきた

ミャンマーと言われてもピンとこないかもしれないけど、一定以上の年齢の人ならビルマと言えばピンとくると思う。

ビルマの竪琴

第二次世界大戦時のビルマ(現在のミャンマー)が舞台で、竪琴の演奏に秀でた主人公は敗戦後日本に帰ることなく、ビルマの地で僧侶となって亡くなった日本兵を弔う、という物語。日本人が作者の物語なのでミャンマー上座部仏教の実際に即していないこと多数らしいけど、この物語はビルマが仏教国であるということを強く印象付けている。

ちなみに1985年に作られた映画では中井貴一が主演を務めているので、私たちの親世代ならわかる人が多いかも。

 

さて、そんな仏教国ミャンマーにある黄金に輝く寺院、シュエダゴンパゴダに行ってきた。

 

宗教熱心なミャンマーなので、郷に入っては郷に従うのが一番。

駐車場に車を停めたらその場で靴を脱ぎ、裸足になる。

建物までは普通にアスファルトの地面なので、日が照ってるところは暑いし痛い。

日本だとお寺の敷地内では靴履いたままだから、まずはその違いに驚いた。

ていうか、タイのお寺も建物の中では当たり前に靴は脱ぐけど、敷地内は靴履いててよかったような。同じ上座部仏教でも違うんだなあ。

 

駐車場から吹き抜けの建物に入ると、大きな柱に支えられた荘厳な広間、そこから続く長い階段、もといエスカレーター。

この長いエスカレーターを登った先にパゴダが待っている。

エスカレーターの途中、踊り場のような場所で外国人は入場料を支払う。

カウンターのお姉さん、私が日本人とわかるや否や日本語で話してくれた。

 

さあ、おまちかねの黄金に輝くパゴダがこちら。

雲行きが怪しくなってきちゃって、青空の下輝くパゴダを撮れなかったのが少し残念だけど、この輝き、すごい。日本のパゴダ(仏塔)と全然違う。

私は五重塔のあるお寺の近くで育ったけど、そこは黒や茶色を基調とした侘び寂びの世界で、荘厳な上座部仏教とは全くの別世界。

 

平日の昼間にもかかわらず、たくさんの人がパゴダを囲むように日陰に集まっていて、人によっては寝っ転がっていた。

日本でも観光地だったら平日の昼間からたくさんの人がいるだろうけど、さすがに日陰で寝てる人は見ないよな。

 

ちなみに日差しを浴びた地面は焼けるように暑いので、人が歩けるようにマットが敷き詰められていた。写真の緑の道がそれ。

ただこの緑のマット、熱さ(暑さ)からは足を守れるけど、足の裏にめちゃくちゃ食い込んできて痛かった。でも背に腹は代えられないから・・・

 

改修工事してる場所に猫が紛れ込んでた。

 

頭が二つ、鼻が三つあるゾウの像。きっと何か意味があるんだろうけど、一緒に行った夫は知らなかったので分からずじまい。

 

シュエダゴンパゴダですごいと思ったのが、いたるところに無料の給水所があったということ。

ここにも!

そこにも!

あそこにも!

無料で水を提供する、施す、というのは善行を積むことになるからじゃない?と夫。

ちなみにこぞって寄付をするのは仏教徒に限ったことではなく、キリスト教徒もだそう。ムスリムヒンドゥーは周りにいないから分からないけど、国民性ならきっと彼らもそうだよね。

 

そういえば前の前の投稿でミャンマーは宝石の産地だと書いたけど、ここの柱は翡翠でできているらしい。

写真の右の方にチラッと写ってるけど、ここでも寝てる人がいた。

日差しが暑い日だったけど、風が吹けば日陰は涼しい。

 

そんなこんなで初のシュエダゴンパゴダ、大満足。

写真で見たときはチェンマイのドイステープと似てるなんて思ってたけど、自分の目で見たら違いは歴然。シュエダゴンパゴダ、めちゃくちゃ大きくてキラキラしてた。

最後にお気に入りの写真で終わりにしよう。

 

ミャンマー旅行記、まだまだ続きます。

ミャンマーの麺料理「チェーオー」を食べた

ボージョーアウンサンマーケットから通りを挟んだ向かいにあるのがジャンクションシティーというショッピングモール。

マーケットからは歩道橋で渡れるので移動も楽々。

 

ジャンクションシティーヤンゴンでも最大規模のショッピングモールらしく、館内に入るやいなや見覚えのあるブランド多数(それも日本の!)に出迎えられて、私が思っていたミャンマーとのギャップに驚いた。

ミャンマー人と結婚しておきながら実はこれが初のミャンマー訪問だったので、ミャンマーがどれだけ発展してるのか自分の目で見たことがなかった。

海外ブランドの数でその国の発展度合いをはかるのは必ずしも正しいとは思えないけど、長く外資を排除してきたミャンマーではあながち間違ってもいない気がする。

 

それはさておき、ジャンクションシティーに着いたときにはすでにお昼時だったので、YKKOに行ってきた。

YKKOは言わずと知れたチェーオーのチェーン店で、Yan Kin Kyay Ohの頭文字だそう。

といっても私のブログを読んでくれてるほとんどの人にとって、ヤンキンとは?チェーオーとは?だと思う。というか、チェーオーを英語にするとchじゃなくてkyになるのも謎(単に私の学習不足だけど)。ビルマ語は奥が深い。

なんて書いてあるのか読めないけどフォントがかわいかったので撮った一枚。

多分チェーオーって書いてあるんだと思う。夫に確認すればいいだけの話なんだけど、いま近くにいないから、また後で聞いてみよう。

 

チェーオーとはミャンマーの麺料理で、使われている麺はおそらくビーフン。他の麺料理同様、汁ありか汁なしか選ぶことができて、つみれや豚肉や鶏肉といった具材をピリ辛ソースにディップしていただく。汁なしの場合、別皿でスープがつく。写真では手前が汁あり、奥が汁なし。

今までチェーオーは日本で2ヶ所、ミャンマーで1ヶ所、タイで1ヶ所しか食べたことないけど、いまのところどこも汁ありの方が味が薄めで、汁なしは味がしっかりした混ぜそばのような感じ。

私は汁なしの方が好みだったけど、機会があればぜひ2種類食べ比べてみてほしい。

 

最初は汁ありを食べていたけど、途中で夫に交換してもらって汁なしにシフト。

 

ちなみにチェーオーの美味しさは、ディップするピリ辛ソースにあるんじゃないかと思う。

タイで食べたお店はソースが他のメニューと同じソースを使っていて、せっかくのチェーオーがもったいないなと思った。

 

チェーオーと一緒に注文したのがこちらの飲み物。

どこか梅ジュースを彷彿とさせる味で、旅で疲れた体に甘酸っぱさが染み渡る!

同じ飲み物を後日湖のほとりのベンダーで買ったけど、YKKOで飲んだ方が美味しかった。多分YKKOのは飲み物がしっかり冷えてるからだと思う。ただでさえ停電の多い現在のミャンマー、冷たい飲み物のありがたみも身に沁みる。

 

ちなみに食事の途中で一度停電して、私はいまミャンマーにいるんだなと実感した。

 

チェーオーを食べ終わってお店から出ると、なんと見知った顔が!

たまたま一時帰国のタイミングが被っていたらしく、バンコク在住の夫の友人とまさかのヤンゴンで再会した。

 

お腹いっぱいになったところでジャンクションシティーを退散。

私の故郷にあるショッピングモールよりもはるかに大きく豊富な品揃えのモール、いつかヤンゴンに住む日がきたら日本製品を求めてお世話になるんだろうな。

 

ちなみにトイレはめちゃくちゃキレイなのでご心配なく!

 

そんなこんなでミャンマー旅行記、えっちらおっちら続きます。

乞うご期待!

ボージョーアウンサンマーケットに行った

モヒンガーでお腹がふくれたので、ホテルにチェックインし、着替えと化粧と髪型を整えて出発。

向かうはボージョーアウンサンマーケット。

 

ボージョーアウンサンとはミャンマー語でアウンサン将軍を意味していて、アウンサン将軍はミャンマーを独立に導いた第二次世界大戦前後のビルマの将軍であり、ミャンマー民主化の象徴であり指導者でもあるアウンサンスーチー氏の父でもある。

 

コロナ前は観光客で賑わっていたらしいけど、コロナとクーデターで経済が大打撃を受けて観光客がほとんどいなくなった今、人の姿はまばらで賑わいとは程遠かった。

ボージョーアウンサンマーケット

シャッターは下りてるけど宝石屋さんがたくさんあるのがさすがミャンマーという感じ。ミャンマーが宝石の産地っていうのはあまり知られていない気がする。

ミャンマーから産出される宝石で特に有名なのは翡翠やルビーで、ボージョーアウンサンマーケットでもブレスレットや置物といった翡翠でできたお土産がたくさん並んでた。ちなみにマンダレー近くには翡翠でできたお寺もあるらしい。次回ミャンマーに行く際にはぜひ行ってみよう。

ちなみに高田馬場にはルビーという名前のミャンマー料理屋さんがあるのでぜひ行ってみてほしい。

 

行った時間がお昼時よりも少し早かったのもあるかもしれないけど、食堂のあるエリアもテーブルと椅子の数に比べてこれだけしか人がいない。

 

建物の中に入ってみた。

お店は残っているけどショーウィンドーには何も並んでいなくて、お店の人もいなくて、ここの人たちは一体どこへ行ってしまったんだろう。

もちろん開いてるお店もあったけど、コロナとクーデター前のミャンマーを知っている人が見たらとてもショックな光景だと思う。

 

マーケットの奥の奥まで行ったらかわいいTシャツを売っているお店を見つけた。ビルマ文字がずらりと並んだTシャツ。色もデザインもいくつかあったけど、シンプルかつタイに戻ってからも着やすそうな白ベースのTシャツにした。

せっかく買ったんだし今日はこれを着て観光しようと、マーケット内のトイレで着替えて撮ってみた写真。

 

別のお店でかわいいサンダルも売ってたので買ってみた。

日本円にして約400円だったと記録しているから、多分10,000チャット。このときは100チャットが1バーツだったので、タイから来た私たちには計算しやすかった。

こちらはマーケットでも特に印象に残った場所の一つ。

一面に並んだロンジーが美しくて、写真を撮らずにはいられなかった。このときは着る機会ないだろうと思って買わなかったんだけど、次にミャンマーに行ったら絶対に買う。タイにいてもミャンマー人の集まりに顔を出す機会は思いのほか多くて、そういった場ではやっぱりロンジーを着るのがいいだろうから。

 

もう一枚、印象に残っているのがこちら。

頭に大きなタライを乗せて歩くロンジー姿の女性。

そもそも民族衣装姿で歩く人を日常に見かけなくなった日本からやってきた私にとって、普段着として民族衣装を着るミャンマーの人々は新鮮で美しい。うん、やっぱり次に来たらロンジーを絶対に買って帰ろう。

 

ボージョーアウンサンマーケットでは、ナガ族の作った手縫の刺繍が美しい布も買った。高校生の時にたまたま図書室で見つけた本を読んで以来、ずっと頭のどこかに残り続けていた人たち、ナガランド、ナガ族。ミャンマーとインドにまたがる地帯に住んでいる少数民族で、ナガ族の刺繍は動物がモチーフのものが多くて可愛らしい。そんな可愛さと裏腹に、他の少数民族同様につらい苦しい歴史を歩んできたのもまた事実として知っておくべきだと思う。

www.kinokuniya.co.jp

ちなみについ最近知ったことだけど、私の周りにも、それもとても身近なところにナガ族の人がいた。

 

たった2時間足らずの滞在時間だったけど、印象に残ったボージョーアウンサンマーケット。ヤンゴンに行く人はぜひ行ってみてほしい。

本場の絶品モヒンガー

ミャンマーの国民的朝ごはんの激うま麺料理、モヒンガー。

ナマズで出汁をとったスープに米粉の麺が入っていて、べジョー(カリカリに揚がった豆の天ぷら)や茹で卵、パクチーがトッピングされている。

 

ヤンゴン国際空港に降り立ったのは午前8時過ぎ。

朝は4時起きで大急ぎで空港まで行き、勢いでチェックインして搭乗口まで来てしまった。

そうなるとたかだか500mlの水一本が40バーツの世界。

どれだけお腹が空いていても値段に気が取られてしまい、結局お腹をすかせたままミャンマーに到着したのだった。

 

空港で落ち合った夫が最初に連れて行ってくれたのが、LUCKY SEVENというヤンゴンに多数出店しているティーハウス。

開放的な店内に入ってまず驚いたのが、お客さんのほとんどが民族衣装を着ているということ。

ミャンマーにはいまだにロンジーと呼ばれる民族衣装を着ている人がたくさんいる。

 

さて、このLUCKY SEVENで食べたのがモヒンガーだ。

 

日本でもタイでもモヒンガーを食べたことがあったけど、やっぱり本場の味には敵わない!

茹で卵はスープの味がよく染みていて、べジョーはカリカリで。

スープには魚臭さは全くない。

食べるときはフォークや箸ではなくて、レンゲで麺を切りながら食べる。

麺はコシがないからレンゲでも簡単に切れる。

ずっと気になっていたことだけど、どうして東南アジアのレンゲはこんなに持ち手が短いんだろう?

 

モヒンガーと一緒に食べた春巻きも美味しかった。

ミャンマー語で春巻きはゴーピエンジョーっていうらしい。

ぴえんってなんだかかわいい。

 

ラペイエも美味しかった。

いつも家ではMyanmar Royalのラペイエを飲んでいるんだけど、お店の味はインスタントよりも濃厚で甘さもちょっと控えめ。

もちろんインスタントも好きだけど、たまには大人な味もいいなあ。

 

 

そんなこんなで4日間のミャンマー滞在が幕を開けた。